注意: ここでいう「荒らせ」は,誹謗中傷しろ,デマを流せ,人を傷つけろ,という意味ではない.利害関係や政治性や人の生存に関わるものを,軽く扱えという話でもない.むしろ逆で,嘘を言うのは良くないし,間違っていれば謝ればいい.その上で,主張を持て,争え,磨け,という話である.

私は2000年生まれのソフトウェアエンジニアだ.インターネットの先輩たちが,ブログで殴り合い,Twitterでプロレスをし,掲示板やコメント欄で長文を書き,勉強会で思想をぶつけ,時にはかなり面倒くさい人間になっていく様子を,横目で見てきた世代でもある.そして俺は,3DSで2ちゃんねるを見て育った.

もちろん,昔のインターネットを無邪気に美化したいわけではない.普通に最悪なものも多かったし,人を傷つける言葉も,雑な決めつけも,笑えない攻撃もあった.あれをそのまま復刻しようと言いたいわけではない.ただ,一つ気がかりなことがある.私の世代のインターネッタラーは,大人しすぎるのではないか.

大人しさは美徳だが,限界でもある

喧嘩は良くない.お互いにリスペクトを持つべきだ.誹謗中傷をしてはならないし,相手の属性や生存に関わることをゲームの駒にしてはいけない.これらは全部正しいし,かなり大事なことだと思っている.

しかし,そこから「だから主張を持つな」にはならない.「だから物議を醸すな」にはならない.「だから何も言わずに,安全な空気の中で,薄い同意だけを交換していろ」にはならない.リスペクトとは衝突を避けることではなく,相手を人間として扱った上で,なお主張をぶつけることだ.

何も言わないことが常に優しさになるわけでもない.主張を避け続ける場では,間違った前提も,弱い設計も,退屈な文化も,そのまま残る.インターネットがずっと無風なら,それは平和なのではなく,単に換気されていないだけかもしれない.

嘘をつくな,でも間違えろ

ここは分けて考えたい.嘘を言うのは良くない.知っていて誤情報を流すこと,確認していないことを断言すること,人を陥れるために事実をねじ曲げることは,ただ悪い.

一方で,間違えることはある.強い主張をすれば間違える可能性は上がるし,新しい概念を出せば粗くなる.誰かに反論すれば読み違えることもあるし,議論の途中で自分の前提が崩れることもある.そのときは謝ればいいし,訂正すればいいし,撤回すればいい.次から少しうまくやればいい.

間違える可能性があるから何も言わない,という態度は一見すると誠実に見えるが,それを突き詰めると何も世界に出せなくなる.嘘をつくな.でも,間違えることまで恐れすぎるな.間違えた主張は,謝罪と訂正によって磨ける.最初から存在しない主張は,何にもならない.

プロレスには技術がいる

私は,もっとプロレスをしてほしいと思っている.ただし,プロレスは殴り合いではない.高度な形式であり,受け身があり,間合いがあり,観客がいて,相手への信頼がある.インターネット上のプロレスも同じで,人格ではなく主張を殴り,相手の強い形を捉えてから反論し,煽るなら逃げ道も残し,比喩で笑わせても事実は雑にしない,という技術がいる.

間違えたら謝ること,相手が本当に傷ついているなら止まることも含めて,それらができないなら,ただの攻撃になる.それはプロレスではなく,素人がリングに刃物を持ち込んでいるだけである.危ないし,ださい.

だからこそ,技術を育てる必要がある.強い言葉を使うなら強い倫理も持て,物議を醸すなら物議の後始末も引き受けろ,人を集める言葉を使うなら人が集まった後の温度管理まで考えろ,という話だ.荒らすとは場を壊すことではない.場に流れを作ることだ.

主張を持て

若い世代は,たぶん失敗のリスクをよく知っている.スクショは残るし,発言は検索されるし,勤務先も見られる.文脈は切り取られ,誰かの怒りは知らないところで増幅される.だから大人しくなるのはわかる.私もわかる.インターネットは,昔よりずっと社会になった.

社会になったインターネットで暴れることは,単にハンドルネームで騒ぐことより重い.それでも,主張は持った方がいい.この技術はこうあるべきだ,この文化はつまらない,この設計は弱い,この流行は変だ,この言葉は便利すぎて危ない,このコミュニティはもっと良くできる.そういう主張を,もっと出した方がいい.

もちろん根拠は要るし,誠実さも要るし,反論を受ける覚悟も要る.でも,主張がなければ議論は始まらない.議論が始まらなければ何も深まらないし,何も深まらなければ世界は変わらない.

争い,磨け

争いは,それ自体が悪なのではない.悪いのは,人を壊す争いであり,属性を殴る争いであり,嘘で相手を潰す争いであり,取り返しのつかないものを軽いノリで燃やす争いである.

そうではなく,主張と主張をぶつける争いがある.概念と概念をぶつける争いがあり,設計思想と設計思想をぶつける争いがある.それは必要だ.衝突しない主張は丸く見えるかもしれないが,丸いだけの石は切れない.どこかで削られ,欠け,研がれないと,道具にはならない.

主張も同じだ.反論されて弱いところが見え,問い返されて前提が見え,笑われて過剰な自意識が落ち,誰かに刺さって初めて自分の言葉の刃の向きがわかる.だから,争え.そして磨け.勝つためだけに争うな.燃やすためだけに荒らすな.自分が正しいと証明するためだけに長文を書くな.世界を少し変えるために争え.自分の主張をより良くするために荒らせ.

結論

若者よ,インターネットを荒らせ.ただし,嘘をつくな.人を壊すな.生存や属性をゲームにするな.間違えたら謝れ.訂正しろ.撤回しろ.それでも主張を持て.

もっと物議を醸していい.もっとプロレスをしていい.もっと議論を深めていい.大人しくしているだけでは,世界はきれいにならない.ただ静かになるだけだ.

静かなインターネットは,一見,成熟して見える.しかし本当に必要なのは,無風の成熟ではなく,よく管理された乱流である.主張を持て.争え.磨け.そして,できれば少しだけ,世界を変えろ.