我々は今,徐々に驚けなくなっている.

私はソフトウェアエンジニアとして,知財と呼ばれるものを形にし,積み上げ,壊し,また作る仕事の近くにいる. そして今の我々は,生成 AI と共に発展している途中にいる. 完成した未来に着いたわけではない. まだ濡れた粘土の上を歩いている.

私はこの状況を,懸念と楽観の両方から見ている.

加速には天井があるのではないか. 一方で,天井にぶつかったあと,驚きは別の形で戻ってくるのではないか.

この二つを,同時に考えている.

驚きが摩耗している

ここ数ヶ月の我々の界隈には,大きな知らせが多すぎる.

信じられないほど危うい穴が見つかった話. 信じられないほど大きく作り直された話. 信じられないほど速くなった話. 信じられないほど新しいものが出てきた話.

最初は,どれも深く刻まれた. 石を水面に投げ込むように,波紋が残った.

しかし最近は,石が多すぎる. 一つの波紋を見る前に,次の石が落ちてくる. やがて水面全体がざわつき,どこで何が起きたのか分からなくなる.

驚き屋は,これをさらに加速させる. すべてを最大の事件として扱い,すべてを今すぐ見ろと言う.

しかし,毎日が非常ベルになると,人は非常ベルを聞かなくなる. これはかなり危ない. 世界が本当に危ないときに,危なさが届かなくなるからだ.

加速の天井

私が懸念していることは二つある.

一つは,もうすでに人間の認知の許容量を超えているのではないか,ということだ. 知らせは増える. 読むものも,判断するものも,疑うものも増える. しかし一日は伸びない. 身体も急には増えない.

細い棚に重い本を積み続けているような感じがある. 最初は頼もしい. しかし,棚板は少しずつ曲がる.

もう一つは,本来関心を向けられ,研究され,発展されるべきだった対象が,この流れに握りつぶされることだ.

小さな発明. 静かな改善. まだ名前のない違和感.

それらは,大きな知らせの下で簡単に見えなくなる. 芽が出る前の種のように,踏まれたことすら気づかれない.

この失われ方は,かなり嫌だ.

輪廻転生としての楽観

一方で,私は楽観視している部分もある.

人間が追えなくなるところまで進んだあと,どこかで静まるのではないか,とも思っている. 世界が遅くなるというより,人間側の驚き方が一度死んで,別の形で生まれ直すのではないか.

驚き輪廻転生である.

大きな知らせに毎回飛び上がる驚きから,何が本当に変わったのかを見る驚きへ. 火花を見る驚きから,灰の温度を見る驚きへ. 流れてくるものを浴びる驚きから,自分で井戸を掘る驚きへ.

驚きが死ぬのではない. 驚きの姿勢が変わる.

私は,この転生という見方をしている.

我々は今,徐々に驚けなくなっている.

これは単なる慣れではない. 世界の変化が速くなりすぎ,驚きそのものが消耗しているのだと思う.

この加速によって生じる良くないことは,十分に本質的によく検討されてほしい. そして,世界が良い方向に進んでほしい.

どちらに転ぶかは分からない. あるいは,どちらも起こるのかもしれない.

ただ,今こういう状況にあるのは確かである.

だから私は,驚けなくなっている自分を,あまり簡単に責めないようにしたい. 同時に,驚けなくなっていることを,ただの成熟として片付けないようにもしたい.

水面は荒れている. 石はまだ降ってくる.

それでも,どの波紋を見つめるのかは,できるだけ自分で選びたい.